2000年代
【時クロニクル】終戦60周年作『男たちの大和』を再読。約10%の生存率が示す「構造的暴力」を分析し、巨大システムに見捨てられた戦時下の兵士と現代の「棄民」に通底する生存の倫理を問う批評。
【時クロニクル】今敏『パプリカ』は、DCミニによる夢のデータ化と情報化の極限を描く。技術至上主義が個人の精神的自己決定権を侵食し、バイオ・リアリズムという身体の根源への退避を余儀なくされる現代文明の倫理的課題。
【時クロニクル】1999年の金融腐蝕を描く『呪縛』を、ルーマンの自己準拠性、ベックのリスク社会論で分析。システムが清算を拒んだ不良債権は、氷河期世代の信頼を奪い、デジタル空間へ継承された構造的無責任。
【時クロニクル】行定勲の映画『GO』を再評価。公的規範が崩壊した時代、主人公・杉原が「在日」の重荷を捨て、「俺は俺であることすら捨てる」究極の自己決定へ向かう「逃走の倫理」を分析する硬質な批評。
【時クロニクル】「悪を裁く神のシステム」はなぜ破綻したのか?功利主義的な倫理の私有化が、既存の法と衝突し、自らの論理的矛盾で崩壊する様を徹底分析。現代社会に問いかけるシステムの限界。
【時クロニクル】是枝裕和『誰も知らない』を20年後の視座で再解剖。新自由主義下でシステムが倫理的責任をコストとして外部化する「構造的放置」のメカニズムを、剥き出しの生とアノミーの概念から読み解く、現代社会の倫理的空洞化。
【時クロニクル】 効率性と計算可能性に貫かれた冷たい合理性のシステムに対し、若さが仕掛ける最も非効率な抵抗とは何か。『リンダ リンダ リンダ』の情熱的負荷が、失われた連帯の熱を回復する「投入コスト」の美学を論証する硬質な批評。
【時クロニクル】『嫌われ松子の一生』をシステム論的に分析。松子の悲劇は、欺瞞的な公的システムから排除された個が、「愛」を絶対倫理として暴走させる構造的悲劇。氷河期世代の経験と共振する倫理の疲弊。
【時クロニクル】「ハルヒ」の無限ループは「責任逃れ」を意味した。競争と自己責任論が蔓延した2000年代、なぜ若者は現実をリセットし、「小さな世界」に閉じこもったのか?同時代のタイムループ作品との対比から、時代の倫理的空白を論じる硬派な社会批評。
【時クロニクル】孤独の時代を変えた「匿名の機能性」。氷河期世代の不安に、技術はなぜ「ウェットな救済」ではなく「実利的な接続」をもたらしたか? 『電車男』が映し出す、当時の雇用とネット文化が生んだ「繋がり」への渇望とその先の現象。